幸せって何だYO
姉が出産し、姪っ子が生まれました
おばさんになってしまった…
ともあれ、姉、義兄、姪、みんなお疲れ様
上は抱かせてもらったときの写真です
ちっちぇ~ と思いました
身体そのものが小さいのに、さらに爪の小ささたるやすごかったです
ゴマ3つぶんとか、ほんとにそれぐらい
炊き込みご飯に混ざっていてもまず気づかないサイズだなあと思いました
さて、赤ちゃんを見に行くにあたり、わたしには懸念していたことがありました
果たしてちゃんと赤ちゃんをかわいいと思えるだろうか?ということです
結果としては、まあ想像通りでした(赤ちゃんを目の当たりにした自分のリアクションが)
義兄に、赤ちゃん抱っこして何でそんな無表情なのwと言われるまでありました
もともとあまり感情を表に出すタイプではないことも災いし、顔隠しのスタンプの下は実際、かなりの無表情です
かわいいはもちろんかわいいんですよ
ただ、そこに感動があるとか、すこしでも母性が芽生えるとか、子どもいいなあとか産みたいなあと思うとか、そういうことが一切なかった
むしろ、自分に置き換えて(出産を)考えたときに、かなりの違和感があった
子どもを産むってすごいことですよね
姉の結婚式を見たときにも、同じようなことを感じました
おめでたいはもちろんおめでたいんですよ
祝う気持ちもちゃんとありますよ
ドレスを着た姉、とても綺麗でしたよ
ただ、「アンタ式見て、私もドレス着たい!とか思わんかったの?」と姉に尋ねられたのですが、正直一切そんなことは思わなかったのです
自分が主役の式を想像してみたとき、違和感がすごかった、それどころか勘弁してくれとさえ思いました
姉の式を見て、人を集め、衆目に晒され、キスして、なれそめを公にして、感動的な演出して、なんだこの異常な空間は…と思ってしまった
おめでたいはもちろん、おめでたいんですよ?
式もそうですが、結婚そのものにも恐怖を感じます
ずっと仲のよい夫婦、家庭なんて幻想だという恐怖
家と家との結び付きが発生することに対する恐怖
両親どうしの仲、母と義実家の仲が悪いのをずっと見てきたからか、結婚というものに対する希望がどうしても持てない
生涯のパートナーがいることの、メリットや楽しみも確かにあるでしょう、でもデメリットとリスクの方が遥かに大きいじゃん、とどうしても思ってしまうのです
話は戻って、子どもを産むということについても恐怖があります
歳を重ねるほど、勉強するほど、いかに自分が愚かで卑小な人間かということをいやほど思い知らされていくのに、そんな自分がまっさらの人間を育て上げるなんて、そんなことが許されるのでしょうか
それでも子どもがほしい、と考えるようになった自分を想像してみたとき、エゴという二文字がどうしても頭について回るのです
それ以前に単純に子どもをほしいと(現時点では)思わないということもあり、結婚~出産という、いわゆる「女性の幸せ」的なものが、果たして自分に適用され得るのだろうか、ということを最近よく考えます
以前にこんな記事を書きました
概略を述べると、
結婚も出産もしたいと思わないけど、ヨウム(そういう鳥がいます)だけは飼いたい
という話です
現時点での結論は、つまりそういうことなのでしょう
そういうこととはつまり、自分は世間的な幸せの定義に沿おうとしても幸せになれない人間なのではないか、ということです
でも、 今まだ22なので、そんな悠長なことが言えるというだけなのかもしれない
どうなんでしょうね
わからないね
ずっともやもやしているこの頃です
オチも特にありません
(オチでも何でもないんですけど、タイトルの元ネタはこちらです)