結婚式

友人の結婚式に出た。彼女はわたしとは全然ちがうタイプだけれど、中学時代ほぼ毎日一緒にいた。力が強くて、わたしがからかうとすごいパワーでばしんと叩かれたものだった。そんな彼女がみちがえるように綺麗なドレスを着て、でも終始いつもの笑顔で、新婦さんをやっていた。

以前にもここに書いた気がするが、わたしは家庭というものに対して不信感を抱いており、そのために結婚=おめでたいという感覚が希薄な人間であった。数年前、姉の結婚式に参列した際にはやはりめでたいなという気持ち、結婚っていいな、素敵だなという気持ちなんかは沸き上がってはこず、ただただその異質な空間に馴染まねばと、自我と戦っていたものだった。幸せになってほしいとは願ったけどもね。だから今回もそのとおりになるんだろうなあと思いながらの参列。しかし蓋を開ければ人前式、新婦入場の時点でわたしは泣いていた。

これは成長なのだろうか、いやそうは思いたくない。マジョリティ的価値観に沿っている人間の方が「おとな」なんてのは違う(と信じている)。では心境の変化?それも違う感じがする。わたしのなかでは相変わらず、家庭を作るというのはおそろしいことだ。ならば何か。きっと以前より、自我ばかり見つめずに済んだのだと思う。結婚とはなにか、家庭とは、生活とは、幸せとは何か。そんな思弁はその瞬間存在せず、ただ夕日を見るように泣いていた。こういう瞬間を自分はきっと求めていた。みんなどうやって生きてるの、という常に抱いている問いの、きっとそれが答えだから。そのまんま受け止める、それだけのことなのだ。その後の二次会では自意識が爆発して、また暗示をかけるように酒をあおってしまったのだけど。

 

昨年は鬱をこじらせひたすらグッタリしていた。どうやって過ごしていたかあんまり覚えていないが殺してくださいとはずっと思っていた気がする。いまは病的な強迫観念みたいなものは軽減したし、波はあるがこうしてブログも書ける。今度ほんとうに久しぶりにライブも見に行くよ。生きています。