人間が死ぬこと

 

所属しているサークルの後輩にあたる子の訃報をきいた。わたしはほぼ幽霊部員ゆえ、彼のことは正直よく知らない。学部すらわかんないし、飲み会で一度二度話したことあるかな、それぐらい。だけどわたしはわんわん泣いてしまった。彼の、死が悲しかったというのでは、たぶんない。

 

わたしは文学部で、大江健三郎という作家の作品を研究している。『セヴンティーン』『政治少年死す』という二作。二部構成のようになっているその二作品の、とくに後者は、実在の右翼少年と彼の起こした事件をモチーフにしている。本作が雑誌に初出掲載された際(1961)には右派からも左派からも大きな反感を買い、掲載誌が謹告を掲載したり作者が殺害予告されたりというたいへんな騒ぎになった。

そんな事情があり、その後全集や各種単行本に収録された前者に対し、後者はこれまで一切の書籍化がなされず、長年にわたり初出掲載紙上以外では読むことが叶わなかった。ところが昨年、講談社から新たな大江の全集が刊行され、そこにその『政治少年死す』がはじめて収録されることとなった。60年ちかくタブーとされてきた本作が今になり日の目を浴びること、その意義について考えるということが、わたしの卒業論文の最大のテーマだ。

この研究においては、政治的な自決が社会に与える影響、というのが大きなウエイトを占めている。主人公やそのモデルはそのような死(個人的なテロ、のちの自刃)を遂げる。それを現代日本に投影することが、先述のテーマにおいて不可欠だと思うからだ。

 

しかし今日、いざ人が死んだということに直面したとき、そこにあるのはどうしようもない悲しみだった。人が、名前のついた個人がひとり、永遠にいなくなるのだ。それをいざ突きつけられたときに、その悲しみとともに、わたしは自分の研究のなかであまりにもシステマチックに人間の死を捉えていたということに気づいた。ある人間が死んだとき、その死が社会に与える影響とか、イデオロギーや倫理やそんな諸々以前に、人が死ぬことはどうしようもなく悲しいことなのだ。それを勘案せずに人の生き死にを論じようとしてたことに対する引け目やおこがましさや愚かさや冷たさにもまた、わたしは驚き悲しくなってしまったのだ。

今日は卒論ゼミの面談で、わたしはそのことを、わんわん泣きながら担当教授に吐露した、わたしはあまりにもドライなんじゃないか?と。教授は、そんなウェットな人が何をおっしゃるのと言ってくださった(たしかに)。その会話のなかで、身体性というキーワードをいただいた。また、今までの段階はたしかにシステマチックだったかもしれないが、これからまとめあげるための要素として、そういうウェットな視点が活きてくるのではないか、と。

先日、石川啄木の『ココアのひと匙』という詩に出会った。

 

   ココアのひと匙

一九一一・六・一五・TOKYO


われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵にげつくる心を――
しかして、そは真面目まじめにして熱心なる人の常につかなしみなり。

はてしなき議論の後の
めたるココアのひとさじすすりて、
そのうすにがき舌触したざはりに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

 

もともとわたしは研究対象を、こんなやり方は間違ってるんだよ、と言いたくて選んだというふしがあった。しかしやっていくうちに、この啄木の言うような気持ちをどこか感ずるようになってきてしまった。なにかを真剣に変えたいと願う一個人がいて、でも声明をだしたりデモに参加したりじゃどうにもならないことで、自分は社会の一員としてはあまりにも非力で…となったときに、相手を殺して自分も死ぬというやり方は、その種の人間にとってひどく誠実な行為とも言えうるのでは?と思うようになってしまった(ゆえにこの文脈にISとかは含まない)。一方、でもやっぱり違うんだ、そんなやり方はどうしてもだめなんだと断固としていう自分が心にいる。その自分だったり、ひとの死に触れて反射的に悲しくなって泣いてしまった自分、身体性というのはそういうことなんだと思う。それをどうにかこうにか言語化していくのがこれから必要な作業だ。研究論文である以上紙面に感情をあらわにはしないが、原動力のぶぶんにそれがあるとないとでは、論の持つ熱量がかなり変わってくるのではなかろうか。

 

わたしは自分が人間であることに対する違和感や苦痛なんかをこの先もずっと抱え続けて生きていくのだろうし、また死にたいと思うこともあるのだろう。苦しいんだけど、でも、人が死ぬのは悲しい。この主語が誰に入れ替わってもそうだし、自分もそれは例外ではない。わたしが生きることはどうしようもなくつらいが、わたしが死ぬことはどうしようもなく悲しい。それは厳然たる事実だ。だから死なないとかそんな愚直なことは言えないし言わないけど、それを覚えていることはきっと大事だと思った。

 

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