明けましてにはおめでとう

 

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某所へ描いたやつ、かわいいので使い回し

 

年が明けましたね。昨年ブログを見てくれた皆々様どうもありがとうございました。毎日更新をやめてしばらくしたら、よくもまああんなもん毎日書いてたなと思うようになりました。今年のわたしはブログをたくさん書くんでしょうか、どうなんでしょうか、わかりませんがまた気が向いたら見に来てくれるとうれしいです。

 

わたしの近況ですが、

もうずっとこれ(こうなった人間みんなどうやって生きてんの?)。自分はどうしようもない不向きのボンクラだという意識がどうしても抜けません。むしろ強固になっている気がする始末で、新しい朝、希望の朝、その明るい光に包まれた目覚めしなに、生きるの難しいなァと思って枕を濡らすことがあります。趣味に走ってるときですらこういう思考に至ってしまい、刺繍してるとき急にアー!!て声が出ることもあります。なんて嫌な気のこもったハンドメイドなんだ。そうイヤリング作りね、ちょっとずつ技術の向上がみられるんだけども、それでふと以前につくったのを見るともうド下手にしか見えなくて、それに耐えられずぜんぶバラしてそのパーツでまた新しいのを作るということを頻繁にしてしまいます。セルフ賽の河原。話がそれましたが、これから先もずっと、社会が人間が人生が無理だなあと思いながらもどうにかこうにか日々をやり過ごしていくしかないと思うと気が遠くなるよな、できることなら終わってほしいな、でも簡単にそんなわけにはいかんじゃん、じゃあ続いてくしかないじゃん、社会のなかでうまくやってくしかないじゃん、ってなったときに、それが願望の人間がどう社会の役に立つと?はい立ちませんすいませんすいませんアーー!!みたいなね、しょうもない自省を繰り返してしまいます。そんな感じで迎えた年明けです。

 

さて、以前にバンプオブチキンのボーカル・藤原基央さんが、「ハッピーとバースデーは悲しいくらいセットになってるよね、アンハッピーバースデーと言うことはないよね」みたいな話をしていました。その名も「HAPPY」という曲のリリース時のことです。HAPPYは、「いろんなことあるけれども、生まれること・生きることはそれだけでどうしようもなくポジティブな事実なんだ」というような歌です。明るいように見えて実にシビアです。特にわたしのような人間にとっては。

(しんどいけど名曲)

 

それとおなじで、明けましてにはいつもおめでとうがついてきますね。明けましてもう最悪とか言わないもんね。わたしが日々を送ることにどんだけグロッキーになってようが、バースデーはハッピーだし明けるのはおめでたい。これはどうしようもなくポジティブな事実なのです。めちゃくちゃシビアです。でもそういう、揺るがないというか抗えない肯定的な区切りがあることで、みんな生きていけてるのかもしれんね。そういう区切りすらもないただただ平坦な道がつづいてくだったら、そりゃもう気も狂うよね。明けましておめでとうって言う以上、また一年生きてくしかないし、同時にそれによって一年生かされるような気がしました。

そんなキモい思いをこめて言わせていただきます。明けましておめでとうございます。