『新聞記者』所感

 

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映画『新聞記者』をみた。苦しい。

 

「日本の民主主義は形だけでいいんだよ」というようなあまりにもストレートなせりふがあり、映画の作り手たちもまた登場人物たちのように、ある覚悟をもってこれを届けているということがわかる。
映画、演劇、絵画、音楽、文学、etc。情緒や美にかかわるものとして、だけではない、芸術や人文科学の存在意義。しなやかな意見の表明。抵抗。芸術に政治を持ち込むなというのには首をかしげる。生活に直結するものを表現しないというのは不自然だし、政治は芸術を侵食しうるのだから…ちょうど表現の不自由展なんてものがさわぎになっているが。
ゲロみたいなロマンス描写が一切排されてたのがよい。ノイズでしかないので。あと個人的に胸キュン映画みたいの観るとじんましんがでるので。

 

画面。全体的にきれい (ばか感想)。
新聞社内。喧騒のシーンでもどこかしずけさのようなものが漂う。序盤の会議のようすを映すカメラ、そのまま視線で追うようなラフなカメラワーク。臨場感があるが酔っちゃた。
内調オフィス。徹底して冷たいライティング、無機質なデスクの列、白く長い長い廊下。組織の巨大さや非情さ、オートマチックなかんじがよくあらわれている。
神崎と杉沢、ビルの屋上と枯れ葉の庭の対照が印象的。ふだん夜景を美しいと思えないが、あのビル街に生きる神崎の最期、としての夜景は、非情にも美しかった。
杉沢家のあたたかさと神崎家の静謐さの対照。神崎家もかつてはそのような姿があったのだろう。つまり、今後の杉沢家は。
肝心の内閣や官庁が一切画面に登場しないということ。国力とかほんとになんなんだろうねー。抽象的な国を強くするより、日本人も国外の人もみんなハッピーにするほうがかっけーじゃんね (ばか理想論)。

 

吉岡(シム・ウンギョン)。「誰よりも自分を信じ疑え」という父の言葉。きらきらの瞳。実直さ。責任感、信念。そういうものにわたしはなりたい。なのに。正直者はやはり馬鹿をみるのか?やだ。いやだいやだいやだー!!!心の2歳児がギャン泣きしている。
過去。サブリミナル的に挿入される、執拗に手を消毒する姿。裏切り。父の死の真相を、身をもってわからされてしまうこと。つっら。つらいつらいつらいー!!!心の2歳児が床を転げている。

 

杉沢(松坂桃李)。憔悴した演技が素晴らしかった。
彼は保身に走るが、そりゃそうだよね。愛する奥さんと子どもの存在。神崎は杉沢に「おれのようになるなよ」と言っていたが。正義感と情。皮肉にも。
吉岡と杉沢。自分はやはり前者でありたいなと思ってしまう、しかし杉沢は間違っていない。最後にベクトルが別れてしまったが、どちらもほんとうに人間らしいんだ、だからこそ悲しいんだ。

 

結末。ミストを初めてみたときばりの電撃が体をはしる。突き落とされた、いや、文字通り突き放されたというべきか。あまりに象徴的な、声のない声。筋を考えれば当然の結末なのだが、それが純粋な衝撃として受け取られたのは、自分が吉岡のような在りかたを切実に信じているからだろう。

映画はこれでおしまいだが地獄はこの先にある。吉岡は父と、杉沢は神崎と、同じ道を辿るのだろうね。神崎母娘はもう誰も信用できなくなったろうね。あまりにも救いのない結末。の、おそらく、繰り返し。

 

今観るべき映画を今観られてよかった。対社会としても、自分としても。これが地上波に流れることはあるのだろうか。やってもド深夜だろな。これが黙示録のようなものにならなければいいが。もうなってるのかもしれないが。

 

電車にのって遠くへ行って、はじめて小劇場みたいなところで映画をみた。受付で一般料金を提示されたので、すいません学生ですと申告しつつ学生証をガサゴソとしてたら、受付のおじちゃんが「出さないでもいいよ、信用します」と言ってくれた。中は狭くて、がらがらで、スクリーンと近くて、後方で既に爆睡してるおっちゃんがいて、悪くない。スタンプ五個ためて、一回ただで観れるらしい。またいこう。