書評ではない

 

 

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中村文則先生のエッセイ集 。ゆかいなパートと政治的なパートの寒暖差が激しいけど、それぞれすんごい面白くて一気に全部読んだ。三年前のエッセイで「事実は小説より奇なりなんて嘘だ!カフカ安部公房よりおかしな現実なんてあるもんか!たとえばモリカケ問題が小説だとしたら…いや事実は小説より奇じゃねえか!」というようなのが収録されていたが、この現状の奇っぷりに先生はいまひっくり返っておられることだろう。

中村先生は相当な根暗のようで、わたしはなかなかにシンパシーを感じる。「表面的に明るく過ごしていたがその演技に限界を感じ突如学校へ行けなくなった」「真面目がゆえに精神をすり減らしているのだから真面目をやめるぞ、というエッセイを〆切前にちゃんと書いている自分」…わかる、わかるぞ。そういった根底の部分へのシンパシーを前提として、更に共感を覚えたのが、「雨が嫌い」というエッセイである。

 

 

宇宙に人工衛星を飛ばす時代、なぜ傘だけ進歩がないのだろう?軽い、水を弾く、とか細かい進歩はあるのだが、「手で持って雨を避ける」のは昔からずっと変わらない。

 

 

共感というか以前に全く同じことをブログに書いたことがある。

(シンギュラリティなんて話以前に、未だ自転車の防雨手段がカッパしかないのおかしいだろ  という話です)

中村先生が出した代替案は、透明な巨大コップの中に入るというものだった。これは盲点だった。しかし先生は考える。でもそんなやつは怪しい目で見られるだろう、コップマンなんてあだ名を付けられたりして…。

そして極めつけがこれである。

 

 

でも(中略)ちょっと羨ましさを感じる人もいるのではないか。「コップマン ニコニコお出かけ 楽しそう」と一句詠んでくれる人もいるかもしれない。

 

 

このブログを長いこと見てくれてる人にはわかると思うんですが、これ、かなりわたしじゃないですか?

 

 

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既視感すごくないですか?

 

先生のルーツは太宰とのことで、例に漏れず人間失格を読み「これは俺だ」となったクチとのことである。一方わたしはこのコップマンの句で「これはわたしだ」となった。それでいいのだろうか。いいのだろう。このままの頭で生きてていいんだという希望につながるような、つながらないような

わたしが中村作品に触れたのは、ゼミの後輩が研究していたのがきっかけ。それを思い出してふと買ったこの本で、予想外のシンパシーを感じられたことはとても嬉しい。色々なことが繋がっているなあと思うよ。中村先生は大江健三郎賞も獲っておられます。

 

 

 

 ・折坂悠太さんが昨晩、ライブ配信をしました。

 

 

尺と画質がおかしい。

おうちにいる人はぜひ見てほしい、しびれたし、信用できる表現者だなあと改めて思ったよ。