美の基準たち

 

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ハートのレモン

お菓子作りに使ったり、紅茶に浮かべるとかわいいね

 

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四角いスイカ

マインクラフトみたいでかわいいね

 

実が小さいうちから型をはめて育てることで、こんなポップな形の果物たちが出来上がるそうだ

でもそれを考えると、どうしても纏足(てんそく)を思い出してしまう

 

昔の中国の風習、纏足

宋の時代から続き、ほんの100年前まで行われていたという

足が小さい女性が美しいという当時の価値観から、幼少期に足をかったい布でグルグル巻きにして、正常な成長を妨げた(その過程はそりゃもう痛い)

高校国語で読んだ魯迅の『故郷』に、「コンパスみたいな足の楊(ヤン)姉さん」というのが登場し、これは纏足のことだと先生が言った

それで知った

当時はむしろ、足の大きな女はバカにされ、纏足してないとお嫁にいけなかったという

女性を支配する意図だとかも介在しているようだが、それでも美しさの基準として間違いなく機能していたわけだ

 

纏足で検索して出てくる写真は、現代のわたしの感覚からすると紛れもなく奇形でしかなく、美しいよりグロテスクと言った方がしっくりくる

それが普通とまかり通ってたのすごいよなー、と思うのは、現代日本のわたしだから

でもそれは同時代の同じ文化圏にいる人とでも起こりうる、というか起こっているよね

わたしは舌ピアスとかスプリットタンとかを見ると、ヒィィ~痛い痛い痛い!!!と思って直視できないが、パンキッシュな方々にとってはそれがクール

ただ、なにかが起こって急にわたしがパンクに目覚めたら、それらこそが普通だと感じて喜んで舌ピをあけるということも、十分にありえる

別に痛みを伴わなくても同じ

パリコレの服(服?)だったりロリータファッションだったり、いま自分が「すごい世界だな~」と思うものでもその内側の人にとってはそれが普通だし、いつか自分がその内側に入っても何もおかしくない

本当に流動的なことだと思う

だからこそ、価値観にそぐわないものを軽率に拒絶するのは愚かだ

反面、思考停止してなんにでも同化するのもまた愚かだ

 

冒頭のレモンやスイカたちも、紡錘型のレモンや丸いスイカたちからしたら、なんだあいつらの形は!ってなるのだろうな

でもハートレモン界ではいかに記号的なハート型であるかが、四角スイカ界ではいかに角のあるスイカかが美しさの象徴なのだろう、どちらが良い悪いとかではない

たとえばハートのレモンになることが美徳とされるようになったとしても、ちゃんと考えた上で、自分が違うと思えば紡錘のままでありたいね

気高く生きられたらいいね