傘立てと傘のおはなし
ここは、とある男性会社員の家。
この家の玄関にいる傘立てと傘は、大の仲良しでした。
晴れの日はいつも二人で、仲良くおしゃべりをしています。
しかし雨の日になると、傘には仕事がありますので、傘立てはひとり、家で留守番をするのです。
傘立てはそれが寂しくて仕方ありませんでした。
「おれは、雨がきらいだなあ。きみが帰ってくるのを待っている間、たいくつで仕方がないよ。それに、晴れの日は外から、鳥や子どもたちの声がよく聞こえてくるだろ。でも雨が降るとどうだ。外は静まって、代わりに単調な雨の音が、しとしと、ざあざあ聞こえるだけだ。」
「まあまあ、雨だってなかなかいいもんだよ。外で仕事をしているとな、いろいろな色の傘が広がっていて、それはきれいだよ。僕は全身真っ黒だけど、傘にもいろいろいるんだぜ、赤や青や黄色や、絵がかかれたのや、全身透明のやつだっているんだ」
「へえ、変わったやつがいるんだなぁ。おれは毎日この玄関にいるから、外のことを知らないんだ。」
「そうか、君はずっとずっとここにいるんだもんな。それは確かに、さみしいかもしれないな。じゃあ雨の日に外で何が起きてるか、僕が話を聞かせてやるから、雨が降ったらそれを思い出すといい。そしたらきっと愉快だよ」
こうして傘は傘立てに、雨降りの日の話をするようになりました。
「こないだはすごい雨だったろ、水溜まりがたくさんできたから、かえるたちが遊んでいたよ」
「そうか、外から声が聞こえなくても、雨の日にたのしく遊んでいるやつらもいるんだな」
「雨粒にもいろいろあってな、霧みたいにやわらかな雨粒のときは、静かにシャワーを浴びてるみたいでとっても気持ちいいよ。反対に大粒の雨粒は、当たると少し痛いときもあるけれど、そうしてざあざあ音が鳴ると、自分が太鼓にでもなったみたいで愉快だよ」
「へえ、外から、しとしと聞こえるときと、ざあざあ聞こえるときとがあるのは、そういうわけだったのか」
「久しぶりの雨だったね。うちの前に咲いている花が、晴れ続きで元気をなくしてたみたいなんだけど、雨が降ったことをほんとうに喜んでいたよ」
「それはよかったなあ、雨が降っておめでとうと、おれが言ってたと伝えておくれ」
傘の話を聞いて、傘立ては、雨音の変化に耳を傾けたり、雨を喜ぶ者たちに心のうちでおめでとうと語りかけたりして、雨の日を楽しむことができるようになったのでした。
(それでもやっぱり、傘立ては晴れの日の方が好きなのです。なんたって、親友と過ごすいつもの時間に、勝るものなどないのですからね。)
おしまい
(お題「雨の日のちょっといい話」の消化はここまでです。ちょっといい話だったねえ)
第二部
ある雨上がりのことです。その日、傘は帰ってきませんでした。
「ご主人は帰ってきたのに、彼がいないのはおかしいな。おれが寝てる間に、どこかに行ってしまったのかしら。」
傘立ては玄関の仲間たちに聞いて回りましたが、スリッパ姉貴も、靴べら男爵も、玄関マット先輩も、スニーカー太郎も、みんな知らないと言いました。
最後に声をかけたのは、革靴のおじさんです。革靴のおじさんは、長年ご主人の仕事を支えてきた、渋くて頼れるおじさんです。しかし、雨上がりはそのあまりの臭いにみんなから敬遠されるという、悲しい一面も持っています。例に漏れずその日は雨上がりだったので、傘立ては声をかけるのをためらっていたのですが、ええいままよと鼻息を止め、おじさんに尋ねました。
「革靴のおじさん、傘のやつがどこに行ってしまったか、知らないかい」
革靴のおじさんは、重い口を開きました。
「…お前はあいつとほんとうに仲が良かったからな、どうにも伝えにくい話なんだが、まあいずれは話さなきゃならないからな。
実はご主人、電車にあいつを置き忘れてきたんだ。酔っぱらっていたし、もうその時は雨も上がっていたからな」
傘立ては驚きと悲しみに身を震わせました。ああ、彼が忘れ去られたなんて!
革靴のおじさんはばつが悪そうに頭をかきました(生臭いかほりが辺りにたちこめました)。「あいつが値のはる傘だったら、ご主人も取り戻したいはずだし、帰ってくる見込みもあるかもしらんが…あいつの故郷はどこだったかな?」
「僕と同じ、カインズホームだと言ってた…」
「…そうか。機能はいいだろうが、お値打ちだよな。はっきり言って、替えがきいてしまうよな。厳しいことを言うが、もうあいつが帰ってくるのは、諦めた方がいいかもしれないぜ」
そうして結局、傘が帰ってくることはありませんでした。
傘立ては毎日悲しみに暮れて過ごしました。
彼と初めて会った日のことを、今でも鮮明に思い出します。
「やあ、はじめまして。僕はカインズホームから来たんだ。全身真っ黒だけど、怖がらないでおくれよ。これからよろしくな」
そう言って、にこやかに笑いかけてくれた彼。
晴れの日はいつも一緒だった彼。
嫌いだった雨の日を、楽しいものに変えてくれた彼。
唯一無二の親友は、今どうしているのだろう…。
いつもは雨粒で濡れる傘立ての体を、いまは涙ばかりが濡らすのでした。
それからしばらく経った、とある雨の日のことです。ご主人は、見慣れた黒い傘とともに帰宅しました。
彼が帰ってきた!
傘立ては喜びに顔を輝かせました。
ご主人が傘を傘立てにしまいました。とたんに傘立ては、
「おかえり!大変だったなあ、ずっときみの帰りを待っていたよ!」
しかし、黒い傘はにこやかに言いました。
「やあ、はじめまして。僕はカインズホームから来たんだ。全身真っ黒だけど、怖がらないでおくれよ。これからよろしくな」
デジャヴです。
なぜ彼は今さら、それも聞き覚えのある、初めましてのご挨拶なんかしたのでしょうか。
よくよく相手を見てみると、いやに綺麗なのです。仲良しの彼の持ち手にあった傷、ほつれかけたマジックテープの糸、少しすり減った先端…。容姿は寸分たがわず彼なのに、それらの特徴は一切この相手にはみられないのです。
〈はっきり言って、替えがきいてしまうよな…〉
革靴のおじさんの言葉が脳裏をよぎりました。
傘立ては唐突に理解しました。この黒い傘は、彼であって彼ではない。カインズホーム、商品番号4549509347859、オンラインショップ価格¥598(税込)。その大量に存在する彼のうちの別のひとりが、自分の前に現れたのであると。
傘立ては戦慄しました。これから自分はこの不気味な親友と、新たな思い出を作っていくのか?自分にとっては限りなく同じに見えるそれぞれの彼と、別々の記憶を共有していくのか?彼自身はそのことに気がついているのか?いや、自分だってその例外ではないのだ。もしかしたらこの瞬間にも世界のどこかでは、自分と寸分たがわぬ傘立てが、別の記憶を生成しているのかもしれない。そいつはおれか?おれは、自分か?自分とは誰だ?自己とは、自我とは、アイデンティティとは………
ガシャン!
傘立てが音をたてて壊れました。
しかし、問題ありません。むしろ、その方が良かったのかもしれません。
数日もすればご主人は、またカインズホームで新しい傘立てを買ってくることでしょう。そうしたら全てが元通りです。新しい傘と新しい傘立て、2人が唯一無二の親友になるのは、もう決まっていることなのですから。
おしまい